兵站の重要性について

今週のお題東北地方太平洋沖地震

べつにはてなのお題に答える訳じゃないんだけど…

昨日、うちのワイフがぷりぷりと怒っていた。出勤中に聞いたラジオ番組での当初に腹が立ったらしい。その内容は「物資が余っているのにそれが必要なところに届かないのが腹立たしい」という内容だったらしい。ワイフ曰く「腹立たしいとなにごとか」。

確かに、もどかしい、ならわかる。歯がゆい、でもわかる。でも腹立たしい、という表現の影には、だれか責任を果たしていない人がいて、そいつが悪いと解釈できなくもない。

ワイフが大学で「ボランティアコーディネイター」なる課程を担当しているせいもあるのだろう。善意とニーズを結びつけるのはそう簡単ではない。ナホトカ号が油を流した福井の磯部で善意の勇士たちが食べるものも、寝る場所もなく立ち往生した話や、阪神大震災の避難所で、大量のにぎりめしが腐臭を放っていた現実は、人々にボランティアコーディネイターの重要性を認識させた。

物資とニーズを結びつけるのは「裏方」の仕事である。内田先生は「兵站」という言葉を使ったクローズアップ現代は、「ロジスティック」という珍しい分野の専門家をゲストに呼んだ。

兵站、は北方謙三の歴史モノが好きな読者には耳慣れた言葉だが、「補給」と言い換えてもよろしい。食料、衣類、衛生、医療、装備など、戦線にたつ兵士の背後を「戦場」で支える仕事である。1万人の人が働けば、1万人の食事と寝る場所と衣類がいる。戦場でも「生活」があるわけである。黙っていてそれが成立するはずがない。困った人と助ける人がいれば、援助が成立する、と考えるのは残念ながら対人援助の素人である。

兵站は専門的な仕事である。だれがどこで困っていて、手元にどれだけの資源があるか。自分が援助できなくてもよい。それらを調整できれば、その人は既に「兵站」の専門職である。しかし、兵站のプロフェッショナルに注目が集まることは少ない。それは医師や看護師に注目が集まるが、ソーシャルワーカーには注目が集まらないこととよく似ている。

たぶん、「腹立たしい」と投書した人は、ソーシャルワーカーの存在もご存じないのであろう。補給の重要性を軽んじ、戦線を伸ばしきった日本陸軍の失敗から私たちはもっと学ぶべきである。戦線の縮小と戦力の集中という基本は、戦争以外にも応用可能である。