障害者福祉論§11

障害者福祉論§11のレジメをここにアップしました。

今回は自立生活運動のセクション、2週ほど講義をして3週目は京都市西院にある自立生活センターアークスペクトラムの代表岡田健司さんに来て、事業所/利用者/生活者の視点からお話をしていただく予定。

『生の技法』も制度的にだいぶ変わって、歴史と思想の本になった。

生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学

生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学

今の教科書は『介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み』と『介助現場の社会学』です。

介助現場の社会学―身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ

介助現場の社会学―身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ

介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み

介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み

障害者福祉論§8〜10

障害者福祉論のレジメ、8-10までまとめてアップします。

障害者福祉論§8
障害者福祉論§9
障害者福祉論§10

とおもったら、なぜかアクセスが拒否されてしまいます。大学のサーバーの設定が変わったんでしょうか?
ちょっと別の方法を考えますのでしばらくお待ちくださいませ。

専門性?

久々にブログを更新する。

すでに講義が始まって3週が過ぎた。後期は障害者福祉論2と社会福祉実習指導1を担当している。前者はともかく、後者はゲストスピーカーや見学自習、実習の配属などを行う特殊な講義だ。なぜか1教員20名という人数制限もある。

実習指導1では、今日は「社会福祉士の歴史」について話した。確かネタ元は、杉野昭博さんの論文だったと思う。
2001「大学における福祉専門職教育――迷走する資格制度と養成課程」『関西大学社会学部紀要』32巻3号 pp.299-315

前回の日本社会福祉学会の大会ツイートでも触れたが、社会福祉士の誤算は、介護保険開始時に、資格保有者の量が揃わず、他職種に介護支援専門員を解放せざるを得なかったことにある。また、行政分野では1950年から続く「社会福祉主事」の長年の慣習が社会福祉士によって刷新されずに(近年それでもようやくその動きが見え始めたが)いることも社会福祉士の業務が確立しないことに影響しているだろう。

「では、先生が考える社会福祉士の専門性とは何ですか?」

講義の最後に学生から上記の質問を受けた。
君、ど真ん中の直球も時として人を惑わす武器となることを知っているね。

私の返答は、いつも学生と議論していることと同じだ。私が社会福祉士の専門性について考えるときに参照するのは、三島亜紀子さんの業績と三井さよさんの業績だ。

ケアの社会学―臨床現場との対話

ケアの社会学―臨床現場との対話

専門職は、限定性を高めることでその価値が高まっていく。「それは私の仕事ではありません」と言える機会が多くなっていけば、自ずと「それこそが私の仕事です」という仕事が確立されていき、またそれが排他的に他職種から切り離されることで、独占業務と専門職は確立する。
対照的に家族は、「その人を救う/生かすためのすべてのこと」を行う。医者探しや日常的介護は言うに及ばず、加持祈祷や新しい神様へのお布施まで、ひとえに「自分の大切な人が助かるためのすべてのこと」を「無限定」に行う。

ソーシャルワーカーは、知識/技術/価値(倫理)を基盤にした専門職であるが、特に価値を重視する。クライアントが主張するニーズ(表出されたニーズ)とは別の介入を行う際、その根拠は倫理綱領にある「人権」と「社会正義」だ。

一方で家族もまた、クライアント、という家族の他の成員の主張するニーズを退けて介入することがある。その根拠は愛情である。そしてそれは専門性ではなく、パターナリズムと呼ばれる。

相手のいうことを退けて別の介入をする根拠が専門性とパターナリズムと二つある訳だが、障害者運動はどちらも批判を加え「私たちのことを私たち抜きに決めないで」と声を上げてきた。ソーシャルワーカーを目指そうという学生たちが、この批判にどのように向き合っていけるかを問うことは、煩雑な事務作業の中での少ない希望である。

読書メモ

現代思想2011年8月号 特集=痛むカラダ 当事者研究最前線

現代思想2011年8月号 特集=痛むカラダ 当事者研究最前線

三井さよ, 2011, 「「知的障害」を関係で捉えかえすー痛みやしんどさの押しつけを回避するために」, 『現代思想』39(11),227-237.

三井さんの論文が、私のtwitterのTLを飛び交っている。lessorさんのところでもじっくり議論されているだろうから、私はメモ書き程度にしておく。

冒頭の田中耕一郎さんの知的障害の社会モデル批判だが、田中さんは、2007の論考以降も、知的障害の「弱さ」にずいぶんとこだわっている。『社会福祉学』に立て続けに掲載された二本の論文は、哲学や倫理学を採用しつつ、「知的障害の社会モデル」の構築を目指している。

田中耕一郎, 2009, 「連帯の規範と<重度知的障害者> −正義の射程から放逐された人々−」, 『社会福祉学』50(1),82-94.
田中耕一郎, 2010, 「 <重度知的障害者>の承認をめぐって : vulnerabilityによる承認は可能か」, 『社会福祉学』51(2),30−42.

昨年、札幌のパーソナルアシスタンス制度の調査の折にお会いできたのが(田中さんは今年はリーズ大学ディスアビリティセンターに外留中)、この件に関して詳しくお話しできなかったのは残念だった。札幌市のパーソナルアシスタンス制度の委員を務める中で、「できる障害者」が可能性を得ていく一方で、「できない(とされる)障害者」が放置され、しかも責任が個人化されていくことに歯がゆい思いをされていたに違いないと推察する。

さて、「できる−できない」と「わかる−わからない」について。

障害学の言うところの近代社会における「個人化イデオロギー」(能力主義と言い換えてもよい。できるーできないが、個人の内部に閉じ込められ、できることによって得られた物は、その人が自由にしてよい)が、「できるーできない」ことを個人の責任にする。できないあなたがわるい、できない私が悪い、できる俺ってすげー、できるあなたってすごい!(これはあんまり聞かない)

三井さんは、「できるーできない」で知的障害を見ることを変えてみよう、と提案する。とりあえず、細かいことは抜きにして「わかるーわからない」と言い換えてみましょう、ということだ。

できるーできない(当事者責任)
   | 
わかるーわからない(相互関係)
   |
支援できる−支援できない(支援者責任)

できないのは、知的障害者の能力が低いから、の裏返しは、支援者に能力が足りないからできない、である。学生も「もっと支援が上手になりたい」とか言う。それって結局能力主義の裏返しだよ。相手のできない、を自分のできる、で補おうとする時点で、専門家主義の悪いところ、パターナリズムが発芽する。そして、自分の能力の改善が限界に来た時点で、相手のせいにして支援を諦める。私もよく陥る。

そうではなくて、うまくいかないことを、当事者のせいでも支援者のせいでもなく、関係の問題にしてみよう、という実に社会学者らしい、レトリックだ。実際にそう考えたところで、現実が急激に変化するわけではないけれど、考え方としては、どっちも救われる。

三井さんは、知的障害に特有の構図なのか?と質問を受けたときに、大学における教育に置き換えて考える。

教員−学生間では「わかるーわからない」問題は生じないのか?もちろん生じる。ただ、大学では、制度的な枠組みにおいて、学生が「わからない」事にされる」

「あの先生の講義、意味わかんねーよ」「私も」「おー、じゃああの先生が『うまい教え方ができない』んだね、もっと講義が上手な先生いないかなぁ」
そして学生は講義に出なくなり、関係が終わる。学生は卒業していき、問題はうやむやになる。

文科省もこのモデルにとらわれていることがよくわかる。文科省が打ち出したロジックは「教員の能力不足」という認識だった。

話を知的障害に戻すが、三井さんは、大学生は、卒業すれば、この構図から逃れられ、別の組織へと移行できるから問題が重篤化しないと指摘する。一方の知的障害者は、「わからない」から逃れる手段や可能性が少ないことが問題であると三井さんは言う。確かに、限られた場所で生活していればいるほど、人間関係は固定化し、その人が持つ関係性は貧しくなる。関係性が貧しくなれば、一度「できない」と判断された人はずっと「できない」という認識を他者と共有せざるを得ない。

三井さんの今回の論文は、明確な結論があるようなものではない。ただ、障害学が「知的障害の社会モデル」を確立できていない以上、こうしたマクロレベルから、帰納的に理論を鍛える、という試みがどうしても必要になる。最後に申し訳程度に制度の話が出るけれども、三井さんの議論を受けて、支援場面に戻っていける制度論を考えて行けたらな、と思っています。

障害者福祉論§6

前期最後のセクション、今回は所得保障制度の話。§5が介護保障制度の話で、今回が所得保障。

自分の財布と相談して、好きなように飯を食う、は福島智さんの言葉。

好きなように飯を食う、が介護保障の含意だとしたら、自分の財布、は所得保障の含意。

レジメはここ

障害者福祉論§5

梅雨のじめっとした環境で、1限・・開始時点でなんと7人。少ねぇ…
レジメはここ

制度の話は単調になりがちですが、流れを追っていけばきっとおもしろくなるはず、と自分に言い聞かせています。