明日の記憶(2006)のレビュー

ゼミ生で映画「あん」 の鑑賞会を行った。以前はこうした映画に関する企画をよく行っていたが、久々。鑑賞会の後はレポートを全員に提出してもらい相互共有する。『あん』のレポート締め切りはまだ先なので、久々に読み返した『明日の記憶』に関するレビューをブログに再掲する。FBにいる友人には認知症家族研究の専門家もたくさんおられるので恥ずかしいのだが…ご容赦ください。

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〈同じ〉であること/〈同じ〉でないこと-『明日の記憶』レビュー

 

論じる場面

  1. ギガフォース河村部長(香川照之)と佐伯の電話
  2. 浜野(渡辺えり子)と佐伯枝実子とのやりとり
  3. 菅原老人(大滝秀治)のつぶやき

なお、映画公式サイトには1,3の場面がテキストとして紹介されている。

 

同一性規範

明日の記憶』を見た多くの人々は「悲しい」とか「切ない」という感覚を覚える。自分の大切な人が、病に苦しむ、また老いに苦しむ、障害に苦しむ、のは本人と同じぐらい、周りの人にとってもつらいことがある。

しかし、それを「悲しい」「つらい」で留めていいのか。人が「悲しい」とか「つらい」と思うためには、「悲しい」や「つらい」と思う/思わせる仕組みが存在しているはずだ。そのことを自覚せずに、ただ「悲しい」や「つらい」と思うだけでは、他者の「老い衰えゆく物語」を消費しているだけにすぎない。

天田(2004a:60)は「〈老い衰えゆく身体を生きる〉とは、いわば〈他者化してゆく身体を生きる〉ことでもある」と述べている。これは自分の中に、制御不可能な部分が増えていく、もっと積極的な言い方をすれば、「他者性が問答無用で侵入してくる」ということである。人は自らの身体が制御可能なものとしての意識を持ちがちである。歩こうと思えば、足が動き、つかもうと思えば、ものがつかめる。見ようと思えば、見えるし、音に至っては聞こうとしなくても耳は音を拾ってしまう。

しかし、人は老いたり、障害を負ったりして、その制御可能性を失う。昨日までできていたことが事故によってある日突然、またはだんだんとできなくなっていく。自分の身体の中にままならない制御の困難さが誕生する。これが天田のいう「身体の他者化」である。

 他者化していく身体を「悲しい」や「つらい」と思わせる仕掛けの根底にあるのは、「同一性規範」である。近代社会がその基本原理としてもっている「アイデンティティの一貫性」である。つまり「あなたがあなたであることの証明は、昨日のあなたが今日のあなたと同じであるという合意や確認から生まれる」ということである。エリクソンのライフライクル論を持ち出すまでもなく、アイデンティティが一貫していない人間を、近代社会は成熟した人間と認めないことにした。そこにあるのは「子ども」や「高齢者」「障害者」というカテゴリの構築/発見である。

「昨日のあなたが今日のあなたと〈同じ〉(かそれ以上)である」という「同一性規範」は、近代社会のもつ能力主義や私的所有の合理的根拠となり、業績主義(人は属性ではなく達成した成果で報酬を得る)を補強してきた。だから人は、「できなくなること」を恐れる。「できる私」が「できない私」になっていくことを悲しみ、つらく思う。これと乳幼児が昨日までできなかったことができるようになる歓びとは、対になっている。老いや障害が自らの身体の他者性を増大させるものだとしたら、子どもの成長や発達は、自らの身体から他者を追い出すプロセスだといえるだろう。

 身体の機能の低下がもたらす「身体の他者化」と比較して、脳の記憶が失われていく老人性痴呆、アルツハイマー高次脳機能障害などは、その「身体の他者化」のスピードが爆発的に速いのではないか。老い衰えゆく身体を生きる当事者自身にも「自分の5分前の記憶がない」ことが自覚できる。記憶が失われていくことを、意識しつつも食い止めることができない。自分の脳の中から「わたし」が流出し、代わって「私でないもの=他者」が容赦なく侵入してくる。

明日の記憶』を見た人々が感じる「悲しさ」や「つらさ」とは、同一性規範を強調される近代社会において、「わたしがわたしでなくなっていく感覚」に当事者や家族が逃げ場なく巻き込まれること、にある。

 

ケアの社会化のもつ意味

家族介護やケアはその行為に参加する者のアイデンティティを、属性に応じて強化する。子どもをケアすることで親は親としてのアイデンティティを獲得し、子どもは子どもとしてのアイデンティティを獲得する。また夫婦間の互いのケアも、男性ジェンダー、女性ジェンダー再帰的に生成する。ケアはその行為自体が人々のアイデンティティと分かちがたく結びつけられているが故に、時にその交代は困難を含んでいる。

家族だけではケアが大変だから、社会サービスも使っていきましょう、というメッセージは正論である。時として、人は介護に疲れた人、介護に縛られていると(みえる)人に「もう家族だけがやるなんて時代じゃないんだから」と善意で、いう。しかし、時としてその「善意」は介護者の感情を激しく分裂させるのだ。

施設入所を「姥捨て」と家族介護者が表現することがあるように、ケアの社会化は極端に言えば「私にとってあなたは特別な存在ではない」というメッセージを暗に秘めている。介護者が表明する「ケアが社会化されることへの抵抗感」は、このメッセージを受け入れることの恐ろしさでもある。そして「自分で見られるうちは自分で」と社会サービスの存在にもかかわらず、社会サービスの利用を自ら抑制していくのだ。

また「社会化」がもっているもう一つの意味も介護者の抵抗の原因である。市野川(2004:114)が指摘するように、社会という言葉は二重の意味、つまり「平等への契機」であると同時に「画一主義」を正当化する。障害者や高齢者を社会が画一化してきた結果のグロテスクさを我々は既に優生思想(市野川 1999)や大規模施設処遇という形で知っている。

親密な間柄で行われるケアは、そこに参加する両者の個別の関係性や身体距離と不可分に結びついているが故に、社会化することに一定の困難を抱えざるを得ない。ケアを社会化することは、双方に関係やアイデンティティを変化させる、さらに言えば親密度を薄める効果がある。故に親密な間柄で行われるケアは、社会化されにくい。

 

場面1 ギガフォース河村部長(香川照之)と佐伯の電話

仕事の第一線である宣伝部を離れた佐伯のもとに、取引相手である河村から電話がかかってくる。「新しい担当者はだめだよ、やっぱり佐伯選手でなきゃ」と河村は佐伯を励ます。さらには昔の人間と比べた現代人の身体年齢、精神年齢は8割程度であるという眉唾な言葉を投げかけ、「ポジティブシンキングさ!」と明るく佐伯に声をかける。一見すると、事情をよく知らない者の外野からの無責任な励まし、ととれないこともない。筆者も身体年齢、精神年齢のあたりまでは、河村の無責任さにいらだちを感じていた。

しかし、である。佐伯と河村の電話が終わるころ、私はその電話が持つ意味の重篤さに「めまい」すら覚えた。

佐伯の周りの人々は、すでに佐伯が不可逆的な病であるアルツハイマーを抱えていることを知っている。家族、同僚、上司に至るまで、そのことを知っている。彼がもはや「以前の彼」ではないことを知っている。知っているが故に、佐伯をもう「かつての佐伯」として接することはなく、そしてできない。

しかし、河村は詳しい事情を知らない。治癒困難な病であることを知らない。知らないが故に、河村は佐伯を「かつての佐伯」として接する。佐伯がもっとも失いたくない、かつての自分、昨日と今日と、そして明日も同じであるという〈同一性〉を保持した自分は、すでに事情を知っている者たちとのあいだでは獲得することができない。だから河村の期待に応えられないことを知っている佐伯の、電話の冒頭での表情は硬い。しかし、河村が「かつての自分」としての自分に接してくれていることに気づくと、佐伯の表情は安心とも歓びともつかないものへといつしか変わっていく。「キャバクラ」という言葉は佐伯と河村が「以前と変わらない」ということを指し示す。だれも病を得た人をキャバクラへと誘わない。誘わないからこそ、佐伯は自分がもう「かつての自分」でないことを痛感するのだ。もちろん、河村の励ましはリスクを伴う微妙なバランスの上に成り立っている。それでも、世界に一人でも佐伯を、「かつての自分」として接してくれる人がいることは一つの救いである。

 

場面2 浜野(渡辺えり子)と佐伯枝実子とのやりとり

浜野が枝実子にケア付き住宅のパンフレットを差し出す。一度はパンフレットを受け取った枝実子だがさらなる浜野とのやりとりに「あなたにはわからないわ」と思わず、返してしまう。自分の口をついて出た言葉に驚きながら、枝実子は浜野に謝罪する。パンフレットは受け取るが、それを決して本気で考えようとはしない。

枝実子の家族介護はすでに限界を超えていた。食事を一人でとることができない。激しい感情の起伏をやりすごすことが難しくなっていく。枝実子は自分にできることがまだあるはずだと思い、しかし日々衰えゆく佐伯の姿を見ることが悲しい。家族だから何かできることがあるはずだ、家族にしかできないことがあるはずだ、しかし家族だから悲しい。

家族介護は、抜け道のない迷宮である。自分の特別で大切な人を自分がケアしたい。しかし一人ではつらくなる。ケアを外部の手にゆだねれば、それは大切な人を自分にとって特別な存在ではないことを少し認めたことになる。社会はそんな時代ではない、と家族介護者に声をかけるが、当の家族介護者はそれをありがたく思いつつも、認めることができない。

枝実子の口から思わず出た「あなたにはわからないわ」の一言は、家族介護者のアンビバレンツな感情からでたものである。子から親へのケアは外部化されやすいが、親から子、配偶者間のケアは外部化されにくい。それは「愛情規範」の順序に従っている。

 

場面3 菅原老人(大滝秀治)のつぶやき

「生きてりゃいいんだ、生きてりゃ」。映画の終盤で、菅原老人の口を通して語られるこの言葉は「老い衰えゆく当事者」へ、その周りにいる人がかけたい言葉である。例えあなたがどのような状態になろうとも、私はあなたに生きていてほしい、と人は願う。しかし、「生きていてほしい」と思う気持ちと、「以前のままでいてほしい」という気持ちが同時に存在し、両立しない。どちらかしかとれないという状況の時に、老い衰えゆく当事者と老い衰え衰えゆく当事者の周囲に人々は、微妙にその願いをずらしていく。

当事者は「衰え衰えゆく自分の身体」に他者が介入してくる事態におびえ、「生きる」と「今までのようにいる」ことの優先順位は「①今までのように生きる」「②生きる」となる。だから「役に立たなくなった自分は死んだ方がいい」と考えてしまう。

周りにいる人は、その順位は、「とにかく生きていてほしい」「どのようになろうとも生きていてほしい」と願う。そのことは確かに、「今までのようでなくなっていく自分の大切な人」を見続けることでもある。

だから、どちらをとるか、を考えたときに、当事者以外の人々ができることは老い衰えゆく当事者に「生きてりゃいいんだ、生きてりゃ」と声をかけることである。大切なあなたに私は生きていてほしい、と願うことである。それは同時に悲しみをともなう。家族であるから悲しい、家族であるから生きていてほしい、のである。

 

まとめ

アルツハイマー病が、「記憶」の保持に関する障害である以上、その「記憶」のほつれの影響を受けるのは、間違いなく、記憶をともにしてきた周りの人々である。人は、一人で人生の記憶を作るのではない。周囲の人々と相互作用し、社交し、共有し会える現実を構成し、日々を生きてゆく。昨日と、今日と明日は同じ自分であるはずだという前提で生きている。「記憶」の障害は、その前提を激しく揺さぶる。その揺さぶりは、老い衰えゆく当事者のみにかかるものではない。老い衰えゆく当事者の周りの人々も同じようにその足場を揺るがされる。「記憶」が老い衰えゆく当事者だけのものではない以上、それは必然である。

記憶を失う障害に対して、医学ができることも、福祉ができることも、想像以上に少ない。それは学者の無力さを証明する現実に他ならないのかもしれない。学者がこの問題に唯一貢献できること、それは老い衰えゆく当事者と周囲の人々の生を記述すること、私にはまだそれ以上の手段が見つからないでいる。

 

参考文献

天田城介 2004a.『老い衰えゆく自己の/と自由-高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』ハーベスト社.

市野川容孝, 1999, 「優生思想の系譜」石川准・長瀬修編著『障害学への招待――社会・文

化・ディスアビリティ』明石書店, 127-158.

――――, 2004, 「社会的なものと医療」『現代思想』32(14): 98-125.

 

社会学の範囲?ー岸政彦『断片的なものの社会学』(2015、朝日出版社)

『断片的なものの社会学』を読む。平日の午後に、KFCの2階で読む(この事自体が1年半ぶりの驚きかも。ケアの外部化バンザイ。)

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

すぐにページを閉じざるをえない。眼から涙が出て止まらない。ずるい。こんな本を書くなんて。岸先生ずるい。

20代の頃はそれなりにフィールドワークをしてきた。一つの成果として、『知的障害者家族の臨床社会学-社会と家族でケアを分有するために』(2006年、明石書店)という本になっている。もう絶版で出版社にはない。

 

知的障害者家族の臨床社会学

知的障害者家族の臨床社会学

 

 

でもこの本は、自分で気に入った本ではない。学位を取るために、小奇麗にまとめざるを得なかった部分も多い。

自分がいちばん気に入っている「ベストエフォート」の原稿は 中根成寿,2010,「わたしは、あなたに、わかってほしいー「調査」と「承認」の間で」好井裕明宮内洋編『当事者の社会学ー調査での出会いを通して』北大路書房,105−20. である。

 

〈当事者〉をめぐる社会学―調査での出会いを通して

〈当事者〉をめぐる社会学―調査での出会いを通して

 

 

後に上野先生には的確な批判を頂いたが、自分が、狭く暴力的な社会学の行使者であることを開き直った、自分の諦め宣言の論考である。

本当に書きたかったエピソードはもっとたくさんあった。『分有』で書いた食べ残しやへその緒のエピソードの他に、理不尽な自分の状況や社会への不信感をもっと生々しい言葉で表現された方もいた。その言葉を、自分が大学院生のころ、ゼミで発表して、師匠からやんわりと諭されたことを思い出した。

社会学の範囲に、ぎりぎりで踏み止まれ」

そんな風に言われたように覚えている。でも、『社会学の範囲』ってなんだろう。概念や理論を生み出し、現象を説明するの社会学なら、岸先生が『断片ー』で掬いあげた現象は、全て社会学の範囲じゃないか。そこに「概念」やなにかを貼り付けて、分析するプロセスがあるかないかでなにかが決定されるのか。

少なくとも、私は30代でのフィールドワークから逃げた。忙しいとかそういう理由じゃなくて「概念が貼り付けられない現象」から逃げた。制度の調査もそれなりに楽しいものではあるが「逃げた」という負い目からは逃れられない。

Iさんが向き合っている以下の様な現象には、いたるところで起こっているのだから、かならず「概念化」できる。

それが社会学の(範囲の)言葉になるかどうかは、わからないけれど。

そして『断片ー』の感想…なにかを語りたくさせる本、でもなにかを語ることで他の解釈を封じてしまうことが怖くなる本。でも、誰かと、できれば、フィールドワークの帰りに、喫茶店で、カフェで、興奮冷めやらぬ感じでフィールドノートを見返して、ウキウキしながら帰って、でも同じ日の夜に昼間の高揚感が気恥ずかしくなって、枕に叫んだ経験のある人と、やっぱり喋りたくなる本。

0080〜0083と2011〜2014

注)この文章は事実を元にしたフィクションであり実在する人物、団体等を批判する意図はありません。福島智,2013,「日本の障害者施策の質的・構造的変換を目指して-障がい者制度改革推進会議、障がい者政策委員会の審議を中心に」『季刊福祉労働』141:67-77.を読んでいて、3年という年月がガンダムと通じて頭のなかでつながったので、思ったことを書いてみました。

 福島のこの論稿は障害者制度改革推進会議総合福祉部会をめぐる戦史だ。私は障害者制度改革推進会議総合福祉部会を、日本の障害者運動が小異を乗り越え大同団結し、官僚支配や専門家主義に対向する障害者運動の独立運動だと感じていた。

 2011年8月に総合福祉部会の『骨格提言』は障害者自立支援法違憲訴訟和解合意、障害者権利条約、学校教育法、差別禁止法などいくつものテーマに関わる人々が、そこに関心を集中し、情報を集め、発信し、パブリックコメントを書き、議論してできあがったものだ。制度改革派にとっての、いわば戦局の中心であった。独立運動側にとってブリティッシュ作戦であり、ルウムであった。障害者制度改革推進会議総合福祉部会の結果はここでは繰り返さない。すでに大局は決し公的には和平条約も結ばれた。独立運動の目的のはずだった新法案・障害者総合福祉法(ジオン公国)も名前を少しだけ変えられ、障害者総合支援法(ジオン共和国)になった。

 いつも考えることがある。独立戦争が終わった後、和平条約を認めず、地球で局地戦を続けるジオン兵に対して、かつて共に闘っていたジオン兵はどんな感情を抱いていたのだろう。

 総合福祉部会の盛り上がりとその後の展開についての人々の評価は様々であろう。敗北と捉える人もいれば、始まりと捉える人もいる。勝っても負けても全ての人には生活があるのだからいちいち下を向いてはいられない・・・などなど。2011から2014。3年という月日は、人々の生活を変えるには十分な月日だ。局地戦を続けている人には短く、戦いを避け生活を取り戻した人には長い。まだ3年、もう3年。

 福島はこの論稿で総合福祉部会よりはるか以前、のちに「障害者自立支援法」と呼ばれる法律の下案が社会保障審議会障害者部会に示されたときの記述を以下のようにしている。

2004年10月12日の障害者部会において「障害保健施策の改革試案(障害保健福祉改革のグランドデザイン)」が厚生労働省(以下、厚労省)から示された。それを一読して、筆者は直感的に思った。「ああ、これは通るな」と。財務省や法制当局、さらに与党筋など、関係各方面への必要な根回しがされた上での固められた、いわば「既定路線のデザイン」だと感じたからである。そして筆者ら部会委員はただ、この「デザイン」をそのまま認めるためのアリバイ作りに集められ、そのアリバイ作りこそが「委員に期待される実質的な役割」なのであろうと思った。(福島 2013:68)

 このグランドデザインに関する意見書の中で福島は歴史に残る「無実の罪で収監された人から、刑務所を出るのに保釈金を徴収するのに等しい」という名言を残す。その後に、福島の直感通りに成立した障害者自立支援法は、各地での違憲訴訟によって追い込まれ、自公政権の退潮も相まって、民主党政権への政権交代の後、新政府によって和解合意がなされる。そして民主党政権のもとで障害者制度改革推進会議総合福祉部会による当事者による新法案の骨格づくりが始まる。独立運動に似た高揚感が関係者を包んだ。

 福島も総合福祉部会の構成員として骨格提言に関わり、自公政権時代の社会保障審議会とは全く異なる議論のプロセスを経験する。しかし総合福祉部会が独立運動後の「和平条約」として手にした「障害者総合支援法」は総合福祉部会が期待していた「期待」とはかなりの隔たりのあるものだった。福島は総合福祉部会的な手法の限界を以下のように述べ、この独立運動の中で得た「経験知」を語る。

 …当事者のニーズを背景に、それを満たすために行政や社会と闘うという手法だけでは、もはや限界に来ているのではないか。障害者福祉を巡る財政論から言えば、筆者を含めて、どうしても国の予算をあてにするという発想になりがちである。それももちろん重要なファクターではあるものの、それだけでは今後、財政面で行き詰まる可能性がある。GDPの10%程度の税収の「パイ取り合戦」だけでは、自ずと限界が生じる懸念がある。もちろん、高負担高福祉で北欧並みに消費税などを20%、30%くらいに上げてもいいと国民の合意形成ができるなら、それはそれで新しい社会像の選択の一つになるだろう。しかし、日本社会の現状や国民性を考えると、少なくとも近い将来にそうした選択は実現されないと筆者には思える。そうであれば、実現可能な路線で、どうしたら障害者やその他のマイノリティが生きやすい社会をつくり出せるか、知恵を絞ることが必要だ。従来型の当時者(ママ)のニーズを要求する運動だけでは十分ではない。かと言って、「アリバイ的」に国・行政の政策審議の土俵に乗って意見を出すだけでも限界がある。これがここ十数年、とりわけこの三年余り、障害者制度改革の一端に関わってきた筆者の「経験知」である。(福島 2013:74-75)

 総合福祉部会の骨格提言から今年で3年。独立運動が講和条約によって終結した後も、局地戦はまだ続いている。各自治体の差別禁止条例づくり。インクルーシブ教育、障害者権利条約批准。私の所にも召集令状が届く。独立運動はまだ終わっていない、と。

 しかし、生活の惰性は恐ろしいもので、妊婦のケア、食事作り、オムツ交換、授乳、夜泣きをする乳幼児と向き合っていると、遠い戦地で起きていることがまるでフィクションのように感じられることがある。ケアをしながら、参加できない研究会やシンポジウムを横目に見るのは、それなりにつらい。
「なにをやっても官僚主義と大衆に飲み込まれる」と斜に構えれば、少しは楽だ。だが、それでいいのか。同じやり方ではなく、別のやり方で独立解放とまでは行かなくても、そこそこ恙無く生活できる方法を小さく育てられないか…。二次的依存状態の毎日の中でそんなことを考えました。

When a child is born, a father is born

「育児をしない男を、父とは呼ばない」

1999年の厚生省の少子化対策としての啓発活動のキャッチコピーは、賛否両論を巻き起こした。立命館大学の中村正さんは「男性性への脅迫とケンカ」であるとして、ずいぶんと批判をされていた(中村正. 2001. 「父親不在の問題」『 現代のエスプリ』408:40-48.)。2012年の原稿でも繰り返し批判をされているので、この問題への批判の深さが推測される。

彼が関わる男性性臨床のフィールドでは、さぞやこの「脅迫とケンカ」型のフレーズが多いのであろう。「暴力をふるうなんて男らしくない」「お酒やギャンブルなんて男らしい強い意志があればいつでもやめられる」「やめられないのは弱い男だ」など(アルコール依存やギャンブル依存はもちろん女性にもあり、女性の場合は子どものためならやめられるでしょ、という母性へのワードディングにすり替わったりする)…。

そんな中村先生は、私の博士論文の審査の年にオーストラリアにサバティカルに出かけられた。私はここぞとばかりに博士論文の提出を1年伸ばし、障害者家族の父親の調査にその1年を費やした。そこで出会った父親たちは、「男らしくケアする」という矛盾に取り組んでいた方々だった。(中根成寿. 2005. 「障害者家族の父親のケアとジェンダー--障害者家族の父親の語りから』『障害学研究』(1):158-88.

中村先生は、サバティカルからの帰還のお土産に「When a child is born, a father is born」というフレーズのフォトマグネットをくれた。なるほど、「育児をしない男を〜」と比べると、そのメッセージの成熟性は格段に高い。

子どもが生まれる時、父親も生まれる。

親の介護に必要な資源

中学時代の友人から、「親の介護に備えて今からできることはあるか」という質問を受けた。自分の周りでも気にしている人は多いだろうし、普段考えていることばかりなので、自分のメモとして残します。

高齢者=介護が必要、ではない。だが、高齢化=介護が必要になる確率が高まっていく、ことは間違いない。
そして、高齢化して介護が必要になる状態になると、介護以外にも必要な資源が出現する。

介護に必要な資源は、カネ、ハコ、ヒトである。そして、それぞれに「自助」「共助」「公助」の制度がある。

カネが必要な理由は、日々の食事、趣味、冠婚葬祭、介護保険料など、現役時代から必要な日常コストに加えて、介護保険利用料、医療費の自己負担分など、身体の状況に応じた追加出費が出現するからである。

カネ=手元にあって自由に使える(他人に使い道を制限されない)現金

カネの自助
 仕事を継続する、親族から仕送りを受ける、退職金、貯金など。ただし、仕事は身体的な能力が衰えていることや、年齢により被雇用が難しければ自営業(不動産経営などのインカムゲイン)などがありうる。民間の個人年金養老保険もこちらに含める。

カネの共助
老齢年金がもっとも主流。現役時代の所得や、働き方によって額に個人差がある。自分の親の年金受給額を共有しておくことが必要。

カネの公助
現金を受け取れる公的扶助は、生活保護制度。資産があれば受けることはできないので、貯金や資産を処分する必要がある。それに同意しない家族がいる場合(法定相続人はたいてい処分に反対する)、それはできないので保護を受けられない。

ハコ…住居のこと
持ち家、借家だけでなく、有料老人ホーム、サービス付高齢者向け住宅も選択肢に入る。ほとんど選べないが病院(精神科病院含)もハコといえばハコ。一番問題になるのは、家賃(ホテルコスト)が発生するかしないか、そこに(質はともかく)ヒトは付いているのか、ヘルパーが24時間いるのか、看護師の配置、医師の配置、食事が付いているかどうか…などなど。

ハコの自助
 言わずと知れた持ち家。長い労働者生活の中で住宅ローンを払い終えて家賃がいらない住居があれば、なおかつそこに住み続けられる身体機能があれば、最強。修繕費もかかるけど、ランニングコストは最も低い。有料老人ホームの入居費用はピンきり。数百万から1億円超えまで。これは最初にかかる費用で月々のランニングコストは別にかかる。有料老人ホームは身体状況の変化によっては退去を迫られることもあるようなので要確認。

ハコの共助
 介護保険で利用できる、特別養護老人ホーム介護老人福祉施設)がこれに当たる。年金程度で利用できるが、安いだけに大人気。入居を待っている人がたくさんいる。田舎に行けば、空きはあるが、都心では5年以上待つことも珍しくない。一般病院や介護老人保健施設医療保険介護保険で利用できるハコと言えなくもないが、いずれ退院・転居をしなくてはならないので、特別養護老人ホーム以外は終の棲家にはならないと考えておいたほうが無難。

ハコの公助
 生活保護を活用した養護老人ホーム救護施設。資産があれば利用できないので、心配してくれるような(余裕のある)家族がいる場合はまず利用できません。

ヒト(介護労働力)
 これがもっとも大事で難しい。どうして大事なのに難しいかといえば「日本ではカネとヒトを交換することが非現実的」であるということ。よく爺さん婆さんが「老後の資金に」とかいってカネを貯めこんでいるが、カネがあってもヒトがいなければ、生活していけない。カネが老後の支えになるためには、ヒトとカネを交換できるシステムがあって初めて成り立つ。
 介護保険は確かにカネでヒトを買える仕組みではあるけれど、保険の範囲(1割負担)でまかなえるケアは限られているし、保険外でヒトを買う(10割負担で)のは大変にコストが高い。
 このコストが安い東南アジアでの相対的な先進国(タイ、ベトナムシンガポール)では、介護問題は発生しにくい。周辺から為替差益を活用した安価な介護労働力としてメイドがやってくるから、カネでヒトを雇うことができる。日本では外国人介護士を導入することに業界が大反対しているので(ダンピングが起こるから)、介護保険がぶっ壊れない限り、この見込みは低い。

ヒトの自助
 健康な身体に勝る自助はない。PPK(ピンピンコロリ)を高齢者や政府が望むのは、本人とっても政府にとってもそれが一番めんどくさくないから。でもめんどくさくても身体は思うように維持できないし、自分は健康でも自分の配偶者や家族の身体は老い、結局誰かのヒト(ケア)は考えなければいけなくなる。
 日本でこれまでこの選択肢は「家族による無償の介護」によって賄われてきた。同居する家族がいれば、さらにその家族が就労せずに専属のケアラーとして時間が使えれば、社会は家族の中でなにが起こっていようとも「家族の中のこと」とだんまりを決め込んできた。ケアラーとは専業主婦のことであり、子どもの介護(育児)が終わった頃に103万円以内でパートに出て、親の介護が始まればパートをやめて専業ケアラーに戻る、という選択肢が日本における介護の社会問題化を抑えこんできた。政府が何にもしなくていいから「親の介護は日本の美徳」ということにして「介護しない家族、嫁はひどいやつだ」とオヤジ政治家が考えるのは自然なことだ。女性の就労率が高まり、三世帯同居率が下がれば、もうこのソリューションが非現実的なのは言うまでもなく、ヒトの自助で乗り切る、というのはは何も言わないことと同じ。

ヒトの共助
 介護保険が画期的だったのは、ヒトの共助体制を作ったことにある。家の中でやっていれば無償なことが、介護保険システムを通せば有償労働になり、自宅にヒトがやってくる。払える人が払い、使う人が1割払う。無償でやっていた人が賃労働者になり、給料を受け取り税金を払い、保険料を納める。すばらしい革命だ。
 介護保険を利用したヒト資源の活用は、大きく分けて3つある。「在宅」か「通所」か「入所」か。特別養護老人ホームならば、ハコの心配もいらない。特別養護老人ホームはハコとヒトがセットになっているが、自由な外出や個別支援はなかなかに難しい。有料老人ホームもハコとヒトがセットになっており、自己負担を追加していけば、上乗せ横出しなど保険外のサービスを利用して生活することができる。
 「在宅」と「通所」は一緒に考えたほうが都合が良い。ハコがあって、身の回りの家事、買物、入浴、外出などが自由にできれば、つまり現役時代と同じような生活をできればヒトは必要ない。しかし、体が衰え、運転ができなくなり、一人では外出ができなくなれば、ヒトの手を借りずには買物、通院、社交もできなくなる。介護保険のヒト資源はこれを補うサービスである。ただし、24時間誰かがそばに居てくれるほど介護保険はたくさん使えない。せいぜい1日3回、ヘルパーがうちに来て、食事や掃除をしてくれるぐらい。後の時間、ヒトがいなければぼーっとテレビでも見て過ごすしかない。トイレに行こうと思って廊下で転ぶこともあるだろうし、着替えができなければ、体が汚れてもすぐに入浴できない。
 だから在宅の人は昼間「通所」するのだ。集団生活にならば、その分ヒトコストが下がる。朝迎えに来てもらって、夕方まで集団生活をする。お風呂も通所介護ではいり、夜、家では入らない。健康状態(バイタルチェック)もある程度管理してもらって、なにかあれば、夜、家に帰ってくる同居人に報告が来る。一人暮らしの人は在宅ヘルパーと通所を組み合わせて、家で生活を続ける。できればここに医療もくっつけて、在宅での介護・看護・医療、つまりハコとヒトをひっくるめて地域包括ケアシステムと呼ぶ。

ヒトの公助
介護保険は、生活保護受給者は保険料なし、自己負担なしで使えます。もちろんサービス水準は共助のヒトと同じ。

制度と制度の間の話
さて、ここまでは全部「制度」の話。カネもヒトもハコも、全部システムの話し。実は一番難しいのは、この複雜なシステムの組み合わせを愛情や個別性をもって引き受けて、マネジメントできるのは誰か、ということ。ケアマネージャー?地域包括支援センター? ソーシャルワーカー? これらの専門機関、専門職はお手伝いはしてくれるけど、この二つも「システム」だから、個別性には限界がある。愛なんてとんでもない。システムが愛をもつことはなく、システムが愛とか言い出したら気をつけたほうがいい。それができるのは、家族か、友達。顔と名前が一致していて、それまでの人生でその人と関わった人。個別性や愛情を持ちうるのは、関係性の履歴をもった存在だけ。家族や友達がカネやハコを提供したり、ヒトになることはしなくていい。それやると関係性の履歴が壊れる。家族や友達、そして介護を受ける自身がやんなきゃいけないことは、誰とどこで生活するか、そのために使えるカネ、ハコ、ヒトはどれぐらいあるのか、みんなで共有すること。身体の状況は必ず変わる。使える資源は、それまでの人生の蓄積で露骨に変わる。

そういえば、最新の婦人公論で、上野先生が「家、友達、1000万円」とおっしゃっていた。これまでの話と整合性もある。

とりあえず第1稿はこんなところです。

社会保障審議会障害者部会(第50回)資料


1枚目の写真では、障害者福祉サービスの「1人あたりの給付費」が紹介され、「重度訪問介護」と「重度包括支援」が突出しているような印象のグラフ。幸い、利用者人数も公開されているので、総額と全体に占める割合を算出してみました。



重度訪問介護が全体に占める割合は、0.02%、重度訪問介護が占める割合は3.74%。合わせても3.75%。これはずいぶんと印象が変わります。

重度訪問介護と重度包括支援を利用されているのは、ALSや全身性障害の方で、24時間の介助が必要な方です。左のグラフだけでは、まるで重度包括支援や重度訪問介護にたくさんの予算を使いすぎ、という印象を与えるように思います。

現金が給付されるわけでもないのに、一人がいくら使ったか、ということに意味はありません。

注目すべきは、在宅系/施設系/相談系とサービスを区分したときの予算の偏り。
在宅系が13.65%、施設系が86%、相談系に至っては0.34%。

支援費が始まったときよりも施設の割合が増えています。(在宅24%:施設76%)
あまりにも偏ったこの数字、施設から在宅へ、という流れは予算からは全く進んでいないことがわかります。

お金をかけて施設を作るよりも、一人一人につくパーソナルアシスタンスしかない、と私は常々主張しています。この数字や資料を見て、ますますその思いを強くしました。

ブログを必要としなくなったということは??

ツイッターとブログの違いについて (内田樹の研究室)

すっかりブログを書かなくなった。講義の補助をこのサイトですることは2012年度からしなくなったし、
ニュースや文献へのコメントもFBで展開するようになったので、ブログに求めることは今はない。

にも関わらず、ツイッターは使っている。

内田先生曰く
ツイッターは横にずれる、事には向いているが縦に掘る事には向いていない」
私は、最近縦に掘っていない。一つのテーマをこつこつと掘り下げるという研究者としての大切な作業をせずに、
ただ目の前を流れる仕事やたまたま私の目の前に来た仕事をことなしているだけで精一杯なのだ。

終わってるな。